神武天皇は実在したのか?即位は西暦何年?

皇室見聞録管理人の咲耶です。

本日のテーマは「神武天皇は実在したのか?即位は西暦何年?」です。

初代天皇といえばみなさんご存知の通り神武天皇。東征のことも含めて学校の歴史の授業で習った人も多いはず。


現在の天皇陛下や皇族方も陵墓に参拝に訪れるわけですから皇室の方々にも先祖として認知されていることは間違いないですよね。

ですが、実在していたのか否かということはかなり以前から議論されています。

このことに関して自民党の議員である三原じゅん子が仰天発言した件もかなり話題に!ということでこれについても少し触れながら私の個人的な意見を交えながらお伝えしていこうと思います!

神武天皇は実在したのか?即位は西暦何年?

西暦2016年に両陛下が奈良県にある神武天皇陵を参拝されましたが、この儀式は100年に一度行われるんだそう。この時には神武天皇没後「二千六百年式年祭」という儀式での参拝だったわけですが、亡くなってから2600年ってすごいと思いませんか?即位してからじゃなくって亡くなってからですからねー。西暦で表すと紀元前っていう表し方になるんですからびっくりですよね。

なぜかって、初代ということは皇室の歴史が単純に考えてここから2600年続いているということなんですよ!

紆余曲折があるとはいえ、こんなに長く、西暦で表すと紀元前から続く旧家は世界中を見ても日本の皇室だけなんだそう。

歴史の授業でも習ったから神武天皇という名前だけは聞いたことあるし、初代っていうのも東征を果たしたことも知ってるけど実在の人物じゃないっていう話もよく耳にしますよね。そもそも即位したのも西暦で表せないんですから。三原じゅん子のように実際にいたと信じる人もいますが・・・。この件は詳しくは後ほどお伝えしますね。

2600年以上も昔のことなので実在していたかなんて実際のところわかるわけないんですが、これは日本の歴史の成り立ちを探っていく上では必ず突き当たる疑問点じゃないでしょうか。

なぜかというと、日本の歴史は神話から始まるから。

神話に出てくるのはみんな神様なわけで人間ではないんですよね。西暦で表すと紀元前に神が天孫降臨して日本という国を作るところから始まっているので、ここからしてすでに実在しているかわからないんですから。

神武天皇を遡ると神話に登場するニニギノミコトとコノハナサクヤヒメのひ孫に当たります。ニニギノミコトは伊勢神宮の御祭神で有名な天照大御神の孫なんですよ。

どれを見てもみんな神様ばっかりですよね。

神様だからあり得ない逸話もたくさんあるんですよ。例えばコノハナサクヤヒメは火中出産したことで知られています。自分がお産するために建てた産屋に自ら火を放って、猛火の中で三人の男の神を生んだという話とか。

その時に生まれた男の神が、昔話で聞いたことがある「海幸彦山幸彦」の主人公の二人なんです。そして、この二人のうちの山幸彦がおじいちゃんなんですよ。

さらにさらにおじいちゃんに当たる山幸彦が恋に落ちて結ばれたのが海神(ワタツミノカミ)の娘のトヨタマビメ。トヨタマビメがめでたく身籠って生まれたのがウガヤフキアエズノミコト。これがお父さんになるんですがここにもあり得ない逸話が存在しているんですよ。

なんとお父さんに当たるウガヤフキアエズノミコトを産んだトヨタマビメはサメだったんだそう!

古事記にもこの逸話が記されていますが、こんなの人間にはあり得ない話ですよね。三原じゅん子はこの逸話も実際にあったことだと認識しているのかわかりませんが神武が実在したという見解を持っているとしたらこの話もただの物語ですとは言えないような気がします。なぜかというとそもそもこの話がないと初代天皇に結びつかないわけですから。

なぜトヨタマビメがサメだったかというのは、このヒメは海神の娘で海の生き物だったから。山幸彦とトヨタマビメが出会ったのは兄の海幸彦の大切なつり針を海の中に落としてそれを探しに行った時で山幸彦は知らぬ間に3年という月日を海の中の宮殿で過ごしたんだとか。

余談ですが、この物語ってどこかで聞いたことがあると思いませんか?

童話にある「浦島太郎」とそっくりですよね?

実は浦島太郎はこの話がモデルになっているそうなんですよ!

話を戻して、トヨタマビメは自分の真の姿を隠して山幸彦と結婚しましたが、出産の時には産屋を決して覗かないでと言ったにもかかわらず山幸彦は産屋を覗いてしまったんです。

するとそこにはヒメではなくサメが子供を産んでいたと・・・。

真の姿を見られたトヨタマビメは産んだ我が子を置いて海の中に帰ってしまったというのがこの物語です。

で、このウガヤフキアエズノミコトが成長して結婚し、子供として産まれた4人のうちの一人が成長して東征を果たし神武天皇に即位した・・・というのが皇室の先祖の歴史なんです。その当時は4人も男の子がいるのに一番末っ子でよかったんですねー。今は長男って決まってるのに。

それはいいとして、このストーリーを見ただけで「神話だな〜」と思いますよね。なので三原じゅん子はどう思うかわかりませんが神武天皇が実在しないというのもちょっと納得できる噂です。なぜかというとこの時には人間ではなく神の話なんですから。

なのでこの頃の天皇はものすごく長生きですよ。

実際、崩御されたのは127歳とされていますが実在する人物だとしたらあり得ない年齢ですよね。

さらに、神武天皇に関する具体的なエピソードや人となりが記されているものもないため創作された人物の可能性が高いという説が有力なんですよね。

このことに関して自民党の三原じゅん子が爆弾発言して炎上したことがありましたがこれは後ほどお伝えしましょう。

ただ、神武天皇が東征を行って即位した時期も西暦でいうと紀元前660年と記され年齢も52歳と明記されていますね。創作された人物とはいえここのところはしっかり記述されているんですねー。

この超長生きに関して、三原じゅん子はどう考えるのか・・・古代の人は超長生きと思っているのかな・・・。

さらに皇居として宮を築いたのは現在の奈良県の橿原市で古事記には「橿原宮」と記されています。

この「橿原宮」が神武天皇が東征を果たし即位したとされる伝承地が現在の「橿原神宮」が建っている場所で、西暦1890年に明治天皇により創建されました。陵墓も橿原市にあり、ここを両陛下が参拝に訪れました。

神武天皇が即位したのが西暦で紀元前660年の1月1日となっていますがこれは旧暦で換算したものになり、明治に入ってから新暦に換算した日付が2月11日。

こうして2月11日は建国記念日となったわけなんですね。

ちなみに現在では西暦というキリスト紀元しか使わなくなっていますが、昔は皇紀という神武天皇即位紀元を使っていたんだそう。これで換算すると2017年は皇紀2677年に当たるということです。

実在していることが疑問視されるのは神武天皇のほかに綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化と2代以降9代までで、これを欠史八代と呼びこれらは即位した西暦年数や崩御といった情報以外に具体的なものが記されていないため創作された人物の可能性が議論されています。

皇室の祖先にサメがいたとか、神かがり的、神秘的な逸話は楽しくていいんですが、即位するのが神から人間に変わったのはいつ頃からなのかとかすごく不思議ですよね。ま、三原じゅん子はどう考えるかわかりませんが私の意見としては不思議だからこそ神話なんだねーという感じです。

実在する人物だとされているのは第10代崇神からという説、第15代応神からという説、第26代継体からという説など諸説あります。

例えば崇神時代には疫病が流行ったということが記されていたり、治世においてのエピソード等が記されていることからここからが実在する人物だとされているということですが、それにしても私が思うにはその頃の人って100歳超えが当たり前のものすごい長生きだったのかなと不思議です。

応神天皇だって111歳とか130歳とか・・・これが本当だとしたら古代の人たちは超長生きだったってことでしょうか。実在している可能性があると言われていますがそれが本当なら驚きのご長寿。神様だと言われた方が納得できますね。

ただ、三原じゅん子と同じように東征で知られる神武天皇が実在の人物だという見解を持つ人も多いですし、なにしろ2600年以上も前のことですので本当のところはわからないですよね。

それにしても、西暦で表すと紀元前ってとてつもない数字ですよね・・・。


神武天皇の東征とは?ルートは?

日本の成り立ちには欠かすことができないのが「東征」ですが、これって何のことなのかわかんないですよね・・・。

私も学生時代に歴史の授業でやったはずなんですけど興味ないことはすっかり抜けてしまいますのでつい最近まで知りませんでした。

古事記や日本書記には日本の成り立ちの最大の山場とでもいいましょうか、最もドラマチックなシーンとして記されているんですね。

この東征の物語を私がものすごく簡単にお伝えしますと、天孫降臨の後で日向の国を治めていた後の神武天皇・カムヤマトイワレビコが東の国を治めるために大和の国に旅立ち即位するまでのお話なんです。

結論から言ってしまうとこれが東征のストーリーなんですが、古事記とか日本書記にはカムヤマトイワレビコがどのルートを旅してどんな障害をくぐり抜けて即位したのかということがめちゃめちゃ難しく書かれているわけです。

東征で神武天皇が辿ったルートを大まかなエピソードと合わせて見ていくと、西暦・紀元前、カムヤマトイワレビコはお兄さんのイツセと共に日向の国・現在の宮崎県、高千穂で国を治めていましたが

「兄ちゃん、天孫降臨で神が降ってから179万2470年も経ってるのにまだこの国を全部治めることができないでいるよね。天下を治めるためにはこんな西の端っこじゃなくってもっと東の方がいいんじゃない?そのために東に行ってみようよ」

「それもそうだな。じゃあ行ってみるか!」

と兄弟で相談して旅立ちました。

カムヤマトイワレビコのご一行様はゾロゾロと九州の筑紫に向かって旅立ち、途中の豊国の宇佐・現大分県宇佐市に到着。ここでウツサヒコとウツサヒメという兄弟に仮宮まで建ててもらって厚くもてなされます。

そしてここから移動して福岡県の岡田宮に一年滞在。ここは現在も岡田宮として存在し主祭神は神武天皇です。

さらにここから安芸国(広島)・多祁理の宮に7年、吉備国(岡山)の高島宮に8年過ごしました。

そしてさらに東に向かい浪速国の白肩津・現東大阪市に停泊した時にナガスネヒコという豪族の軍勢に待ち伏せされます。

ナガスネヒコは奈良市にある生駒山を支配している豪族で、ここで一行は苦戦を強いられることに。

この戦いで兄のイツセが敵の矢に深手を負わされてしまいます。

「我らは日の神であるアマテラスの御子として生まれてきたのに太陽に向かって戦ったのが間違いだった。向きを変えて太陽を背に戦おう」

と当初の予定したルートを変えて南にまわりこみ紀国の男之水門に到着したがイツセは亡くなってしまいました。

カムヤマトイワレビコ一行が熊野に入るとそこには大熊が。

すぐに消えてしまったこの大熊は熊野の荒ぶる神の化身でカムヤマトイワレビコを始めとした一行は熊野の荒ぶる神の霊力にやられて全員正気を失ってしまいます。

ですがアマテラスとタカミムスビの思し召しによって太刀を授かり荒ぶる神を倒すことができました。この時に賜った太刀はフツノミタマと言い現在も奈良県天理市にある石上神宮に祀られています。

その後、タカミムスビに遣わされた三本足の八咫烏の案内で大和の宇陀・現奈良県宇陀市に到着。

ここではエウカシとオトウカシという兄弟に遭遇。

兄であるエウカシがカムヤマトイワレビコの命を狙い罠を仕掛けるも弟とオトウカシの裏切りによって討ち取られ勝利を勝ち取る。

続いて一行は奈良県、忍坂の大室に。ここでは土着民の土雲・ヤソタケルが待ち構えているが彼らに食事をご馳走して一気に打ち殺す。

さらに進みかつて兄イツセを死に追いやったナガスネヒコを討ち殺し、数々の荒ぶる神を従わせながら大和の畝火の地に到着する。

そしてこの橿原の宮で天下を治めるべく神武天皇に即位した。

こんな感じが東征と即位の大まかな物語です。このルートにはこの物語には基づいてつけられた地名もあるということですよ。

例えばナガスネヒコと戦った時に船から楯を取り出して戦ったためこの地を「楯津」と名付けられ、その後「蓼津」と呼ばれるように。

ナガスネヒコに深手を負わされた兄のイツセが血だらけの手を洗ったところ、ケガが酷すぎて赤く染まったところが「血沼海」と。

宇陀に到着した神武天皇を騙し討ちにしようとして討ち取られたエウカシを切り刻んだ場所を「宇陀の血原」など。

東征のルートになったであろう足跡がこの辺りには残されているんです。三原じゅん子が言うように実際に存在したと伝わる痕跡がここにあるんですね。

古事記や日本書記はものすごい難しいので読む気にもならないと思いますが、要するに神武天皇の東征っていうのは日本全国を統一して一つの国として治めようよ!ということを目的に東へのルートを進んだ旅ということですね。

もし興味がある人は高千穂から始まる東征のルートを巡ってみるのも楽しいかもしれませんね!神武天皇が即位したとされている奈良県の橿原市周辺には神武天皇陵のほかにも歴史に関係するところがたくさんあるので歴史好きにはたまらなく魅力的な場所じゃないでしょうか。

三原じゅん子が神武天皇発言で炎上した理由は?

欠史八代と言われ初代神武天皇から第9代開花までは実在しないと近年では言われていますが、以前、三原じゅん子がテレビで仰天発言をしたことで炎上していましたね。

西暦2016年の選挙特番でのことだったわけですが、番組の司会を務めた池上彰からの質問に答えたのが問題になったんです。

この時、池上さんは三原じゅん子の「神武天皇以来の憲法を作らないと・・・」という発言に対して実在の人物だと認識しているのか?と鋭いツッコミを入れました。

確かに考え方は人それぞれで、国民がこのことに関してどんな意見を持っていても問題ではないんでしょうけど、なぜこの時の発言がこれほど炎したのかというと、やっぱり議員という立場の人が言うことではなかったんじゃないかと私は思います。

本当にいた人物だと信じるのも、日本の成り立ちを、また、皇室という世界を一般とはかけ離れた、神懸かり的な立ち位置にしておくためによりドラマチックに作られた物語だと思うのも自由ですが、古事記や日本書記に表されているストーリーを見たらあれが実際に起きたことだと思えないということは理解できますね。

だから神話なんですけど、以前は授業でも実在したと教えられていましたが、最近ではそれもなくなりその考え自体が議論されている時代ですよね。

そんな中、三原じゅん子が公共の場であの発言をすると色々言われてしまう理由もわかりますよね・・・。

しかもその時代の伝統を受け入れた憲法を作るという発言もちょっと考えなしだったかなーと思います。

あくまでも、神話の世界の話ですので三原じゅん子のように議員という立場の人がテレビで言うことじゃなかったということなんじゃないでしょうか。

何も神武天皇を信じるなとか否定しろと言っているわけでなく自分の胸の内に納めておけばこんなことにならずに済んだのに・・・議員に当選してうっかり発言しちゃったのかわかりませんがその後の世間の反応はすごかった・・・。

三原じゅん子お気の毒。

皇室の歴史は西暦で紀元前というあまりにも古すぎてすごく難しいため実際のことなのかというのもわからないことだらけですが古事記や日本書記は日本の成り立ちを学ぶ上ではすごく重要ですし勉強し始めるとハマってしまいそうな面白さがあるって気がついた咲耶でした。三原じゅん子もあの仰天発言をするにはそれなりに勉強したんでしょうねー。

本日は「神武天皇は実在したのか?即位は西暦何年?」でお伝えしました。


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