【2017年最新版】写真で分かる皇室の家系図!

皇室見聞録管理人の咲耶です!

今回のテーマは「【2017年最新版】写真で分かる皇室の家系図!」ということで皇族の方々の家族関係を写真やエピソードなどを交えながら詳しく見ていきたいと思います。


皇室の家系図(2017年)を写真で解説

いつもテレビや写真で拝見する皇室の方々の家系図はあまり目にすることがありませんよね。

そもそも自分の生まれた家にそんなものがなかったので私自身の家系図すら見たことがないんですからそれが存在していることが素晴らしいことだと思いませんか?

しっかり先祖代々からの流れがわかる家はやはりそれなりの旧家で家柄もご立派な家系なんだろうなーというのが私の印象なんですが、日本で一番の旧家である天皇家は遡ると初代の神武天皇にまで繋がっていきますね。

ただ、そんなに大昔から遡ると書ききれないので近代の天皇家の家系図をそれぞれの写真と合わせてわかりやすく解説していきたいと思います。

天皇陛下

現在の天皇陛下、お名前は「明仁」。1933(昭和8)年12月23日にお生まれになり2017年4月現在83歳です。

在位中の天皇のことを「今上天皇」とも呼ばれ、家系図を見ると初代天皇から第125代目の天皇にあたります。

称号を「継宮(つぐのみや)」といい天皇と皇太子のお子様にはこの称号が与えられ幼少期の呼び名はこちらになります。

お印は「榮」で桐の別名。

1952(昭和27)年11月10日に立太子の礼を行い皇太子であることを公に告げられました。

これにより、継宮明仁親王殿下から皇太子明仁親王殿下となり幼名の「継宮」はこの時から使わなくなるとのこと。この時のご年齢は18歳。

皇室では天皇、皇太子、皇太孫は18歳、それ以外の皇族は20歳を成年と呼びそれぞれこの年齢を迎える時に成年式と言われる儀式を行うそう。

前天皇である昭和天皇と香淳皇后との間に第一皇子としてお生まれになり昭和天皇の崩御に伴い1989年に天皇に即位されました。これにより皇太子明仁親王殿下から明仁天皇陛下となられました。

称号の「継宮」とお名前の「明仁」はお父様である昭和天皇が命名されたということです。

現在83歳というかなりの高齢にもかかわらず年間約1000件もの書類に目を通し署名・捺印を行なったり、ご公務を精力的にこなされたりと多忙を極めていますがここ数年はご年齢を心配する声も。

国民の前にお出ましになったりテレビや写真で報道されているご公務のほかにも宮中祭祀を執り行ったり各種行事に出席されるなど、普通のサラリーマンはすでに隠居生活をしている年齢なのに天皇陛下は現役で激務をこなすところはさすがだと思いました。

皇后

今上天皇の皇后でお名前は「美智子」。1934(昭和9)年10月20日に正田英三郎と富美夫妻の長女として誕生する。2017年4月現在82歳。

1959(昭和34)年4月10日に当時、皇太子殿下だった今上天皇とご結婚され皇太子妃となりました。

当時はテニスコートの恋と言われ大ブームになりましたが戦前の皇室では皇太子妃には皇族、あるいは五摂家と呼ばれる伯爵以上の特定の華族から選ばれる習わしだったことから平民出身では初の皇太子妃で知られています。

確かに家系図をよくみると歴史の教科書に登場しそうな旧家の名前がずらり・・・。

当時の旧皇室典範によると皇族男子との結婚の資格を与えられているのは皇族か華族、皇后になるべき者は旧摂家の女子に限るということが決められていたということですから美智子さまが平民から皇太子殿下に嫁がれるということがいかに大変なことだったのかということがわかりますね。

お印はご夫妻の出会いの場となった軽井沢にちなんで「白樺」。

1989年に明仁親王の即位に伴い皇后となられ現在に至ります。

美智子さまは皇室初の民間出身のお妃ということで日本中がミッチーブームで湧く中、当時の皇后や皇族、華族の婦人たち、一部の女官から入内に対して猛烈な反対が沸き起こり受け入れられず、ご実家である正田家に圧力をかけられることも。

第一子の浩宮徳仁親王が生まれた時には押し寄せるメディアによく見えるようにと生まれたお子様を車の窓を開けて見せたことが皇族方からバッシングを受けたことも。

浩宮徳仁親王の子育てに関しての躾を側近に示したメモが「ナルちゃん憲法」と呼ばれ当時の子育て中のお母さんたちから大人気となったこともかなり有名な話ですよね。

ですが、第二子を流産してしまった美智子さまは「皇太子殿下の御子を流すとはけしからん!」とまたしてもとある宮妃からバッシングされ心身の疲労から体調が回復せずに長期療養したことも。

ご結婚後は想像を絶する苦労をされてきたと思いますが、そんな美智子さまに対して天皇陛下が80歳のお誕生日の時には愛情と感謝溢れるお言葉を示されていますよね。

たいへんなご苦労がおありだったと思いますが、このような愛情溢れるお言葉に癒されてここまで過ごして来られたんじゃないかと思います。


皇太子ご一家

皇太子殿下

現在の皇太子殿下、お名前は「徳仁」。1960(昭和35)年2月23日に現在の天皇陛下と皇后美智子さまの第一皇子としてお生まれになりました。2017年4月現在57歳。称号は「浩宮」。

お印は「梓」。

1989(昭和64)年祖父である昭和天皇の崩御に伴い当時の皇太子だったと父・明仁親王が即位したため家系図で見ると皇位継承順位第一位となり1991(平成3)年31歳の誕生日に立太子の礼を行い皇太子となる。

それまでお妃問題が度々話題となっていましたが、1986年に行われたスペイン王女歓迎会で当時外務省に勤めていた小和田雅子と出会い1993年ご結婚。

当時は美智子さま同様、民間出身の女性との結婚で雅子さまブームが巻き起こりましたが2004年に殿下が会見の場で雅子さまにたいしての人格否定発言があり、ここから皇室や宮内庁とご一家との確実が露呈し話題に。

これ以降、雅子さまの体調不良を理由に殿下単独での公務がほとんどとなりました。

皇太子妃

現在の皇太子妃で名前は「雅子」。1963(昭和36)年12月9日小和田恒・優美子夫妻の長女として生まれる。2017年4月現在54歳。

お印は殿下が北海道の原生林で大きな花をつけていたことが印象に残り、雅子さまも北海道旅行の際に目にしたことからお二人で相談して「ハマナス」に決めたそう。

当時、雅子さまはバリバリのキャリアウーマンとして活躍されていた方。しかもハーバード大学卒業という女性としてはかなりハイレベルな経歴の持ち主だったこともありかなり注目を浴びましたね。

マスコミの加熱するお妃報道で、取材に訪れマイクを向けるマスコミに「関係ございません」ときっぱり否定する姿がテレビに流れたりとキツめの印象だった雅子さまも殿下のプロポーズをお受けした後は笑顔を見せるように。

プロポーズを受けるまでには相当な葛藤があったとされていますが結婚を決意したのは殿下の「僕が一生全力でお守りします」というステキな一言だったとか♡

12月9日の雅子さまの誕生日には日付が変わったと同時に電話で誰よりも早くお祝いし、雅子さまを幸せにできるのかということを悩んだと打ち明けたそう。

結婚の儀の当日は臨時の休日となり、パレードはオープンカーで行われ、約30分間沿道を埋め尽くした約20万人の国民の祝福を受けました。

その後、お世継ぎ問題が浮上する中第一子を懐妊しましたが宮内庁などが加熱報道に自粛を要請しましたが、流産という結果に。懐妊の報道が大々的にされたことで雅子さまに心労を与えたことが原因という批判も。

その後2001年に結婚8年目にして第一子の愛子様が誕生されました。

愛子さま

現在の皇太子殿下と雅子妃の第一子で名前は「愛子」。2001(平成13)年12月1日生まれ15歳。

称号は「敬宮」。お印はご両親が好きで真っ白な花のような心を持つ子供に育って欲しいという願いから「ゴヨウツツジ」。

愛子さまは21世紀に入ってから初の皇族で家系図を見ると女性皇族として最年少。皇太子ご夫妻の待望の第一子ということで当時は国民も祝福ムード満載になりましたね。

ところが誕生してからメディアへの露出が極端に少ないことから発達障害ではないかなどの噂が流れたことも。その後、折に触れて写真などを公開し健全であることをアピールしました。

学習院幼稚園から学習院初等科、学習院女子中等科と進み2017年3月に卒業を迎えました。

幼少期から抜群の運動神経の持ち主で運動会ではリレーの選手に度々選ばれる。

また、成績も優秀で初等科では学年でトップクラスと言われています。

秋篠宮家ご一家

秋篠宮さま

現在の天皇陛下の第二皇子で名前は「文仁」。1965(昭和40)年11月30日生まれの52歳。称号は「礼宮」。

お印は「栂(つげ)」。

家系図で見ると皇太子殿下に次ぐ皇位継承順位第二位にあたります。

兄の皇太子殿下よりも先に結婚したことでも話題になりましたが婚約者に内定された川嶋紀子さんが社宅住まいのサラリーマン家庭に育った女性だったことからさらに話題に。

秋篠宮妃

秋篠宮文仁親王妃で名前は「紀子」。1966(昭和41)年9月11日に川嶋辰彦・和代夫妻の長女として誕生する。2017年4月現在50歳。

お印は「檜扇菖蒲」。

学習院大学の構内にある書店で当時の礼宮文仁親王と出会い恋に落ちる。

当時、兄の皇太子殿下が独身だったことで順番が逆転しましたが国民の祝賀ムードが盛り上がり、サラリーマンで社宅住まいの一般家庭から天皇家に嫁ぐということで現代のシンデレラと騒がれました。

また、ご実家の社宅が3LDKだったことから「3LDKのプリンセス」と呼ばれたことも。

大学卒業直後の若いお二人の結婚とあり、お妃教育に通われる紀子さまが毎日写真に撮られたりインタビューされたりと大変な騒ぎだったことを記憶しています。

普通の家庭の女性が天皇家の方に見初められて嫁ぐことで世の独身女性は羨ましいと思った人も多いでしょうが、実際には相当な覚悟が必要だと思いますよね。

連日、報道陣が押し寄せて写真を撮られているにもかかわらず、紀子さまはつねに優しく可愛らしい笑顔を絶やさない方でしたよね。

眞子さま

秋篠宮家のご長女で名前は「眞子」。お父様の秋篠宮さまがまず「眞」という字をひらめきで決め、ここから響きを考えで決められたそう。天性のものを失わずありのままに人生を歩むという願いを込めてつけられました。1991(平成3)年10月23日生まれの25歳。

お印は「木香茨」。

眞子さまと妹の佳子さまは海外からも人気のあるプリンセス姉妹で有名。学生時代のあだ名は「まこしー」。身分を隠してボランティア活動をするなど皇室に生まれた高貴な方なのに奥ゆかしさが人気の理由でしょうか?写真の通り、気品が漂うステキな女性に成長されました。

佳子さま

秋篠宮家の次女で名前は「佳子」。心身ともに良い子に育って欲しいという願いを込めて名付けられました。お母様が「キコ」、お姉様が「マコ」と二音ですので同じく二音にしたいという希望もあったとか。1994年12月29日生まれの22歳。

お印は「ゆうな」。

佳子さまは天皇家の中でもトップクラスに人気がありますよね。日本だけじゃなく海外でも大人気。幼少期にはフィギュアスケートを習っていたり活発な女性というイメージが強いですね。

ネット上で多くの写真が出回っていますがその人気ぶりはまるでアイドルや人気女優のようですね。

悠仁さま

秋篠宮家のご長男で名前は「悠仁」。2006年(平成18年)9月6日生まれの10歳。

お印は「高野槙」。ご両親が大きくまっすぐに育って欲しいという願いを込めて決められたそう。

家系図で見るとお父様の秋篠宮さまに次いで皇位継承順位第三位。

悠仁さまの誕生は皇室ではお父様の秋篠宮さま以来40年振りの男子ということもあり明治神宮はじめ各地の神社などで祝賀行事が執り行われた。

それまで男子が生まれなかったことから皇位継承問題が持ち上がっており、女帝が誕生するかと話題になっていた時の男子誕生に国中が湧きましたよね!

ただ、お母様の紀子さまが次女の佳子さまを生まれてから12年も経っていたことや高齢出産になることや、前置胎盤ということから美智子さまがずいぶん心配されていたとか。皇室初の帝王切開での出産ということも話題に。

現在はお茶の水女子大学付属小学校に通っているそうですが、天皇家のお子様で学習院初等科以外の小学校に進学されたのは初めてのことなんだとか。

咲耶の感想

皇室の家系図を写真を交えて紹介してきましたが、皇后美智子さまから始まって紀子さま、雅子さまと昔の「皇族と結婚できるのは五摂家か華族」という習わしを破って民間出身のお妃が誕生することは私たちにとってもすごく嬉しいことでしたよね。

紀子さまがお妃候補と騒がれた時も、雅子さまが騒がれた時も、女性週刊誌にはお二人の写真がたくさん掲載されていました。

ご結婚されてからもご夫妻でお出かけになっても押し寄せた民衆は美智子さま、紀子さま、雅子さまの写真を撮りたくて大フィバーです。

ですがやはり普通の家庭とは違う世界に嫁ぐということは私たちには想像もできないご苦労があることも事実でしょうね。

初めて民間から嫁がれた美智子さまが並々ならぬご苦労を重ねて乗り越えて来れたのはきっと陛下の思いやりがあってのことだと思いますよね。

私は、いつもテレビで拝見する両陛下の仲の良さに感激してしまいます。歩く時には必ず皇后さまが陛下の腕に手を回していますよね。

このように本当に微笑ましい光景をこれからもずっと見せていただきたいと願っているのは私だけじゃないはずですよね!

今回は「【2017年最新版】写真で分かる皇室の家系図!」でした!


関連記事

管理人

image

初めまして!咲耶です。

いつの頃からかスピリチュアルに興味を持ち、どこかに出かけた時にはパワースポットと言われている所に立ち寄ったり、

続きはこちらから・・・

人気ブログランキング

アンケート

ページ上部へ戻る